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ふと「ノストラダムスの大予言」を検証してみたら大変な事実があったことに気づいた

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「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」の予言で世間を騒がせたノストラダムス。

思えば中学生の頃に学研「ムー」でそういった特集を読んではドキドキしていたものだった。
「自宅で出来る悪魔の呼び出し方」とか...笑

イヤ、それは危険すぎるし安易すぎるだろう。

何せ当時は昭和、言論の自由にせよ表現の自由にせよ、あまりにも寛容的であった。

また同時期、エロ本の入り口として友人の家で読んでいた週刊プレイボーイの袋とじの特集記事で「自宅で出来る包茎手術」という悪魔召還並みに恐ろしい企画もあった程である。


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あの頃は「自宅で出来るシリーズ」が流行っていたのか、やりたい放題だ。
自由の女神の国だってそこまで無茶はしないだろう。

思えば高度経済成長からバブル時代突入へと至る、日本という国が一番勢いの良かった時代なのだ。

もうイケイケなのである。


とにかく、本タイトルのノストラダムスの予言は、結果から言えば、世間的に大局的な惨事も起こる事無く、なあんだ、ガセかよ。。というオチで収束したのだったが。

ふと、そういえばあの頃って何してたかな?...って思った。



うをっ..!!!

いやいやいや!!
恐怖の大王は確かに、降り立ったではないか!!
少なくとも俺個人の身には。

そう、1999年7の月、つまり今から16年前の忘れもしない7月7日、七夕の深夜、俺は文字通り血反吐を吐きながら病院に搬送されるという生涯でも最も辛かったイベントのひとつを経験したでのである。

今なお、個人的には結構ヘヴィで生々しい経験だったので、あまりリアルに思い出したくはないが、まあ終わってみれば胃潰瘍というやつだ。

ストレスや不摂生な日常生活が作り出したいつもより多めの強酸性の胃液により胃壁がどんどん溶かされ、あわや穴が開く一歩手前のところまでいっていたらしい。

数日前からどうも調子が悪いとは感じていたのだが、病院苦手な俺はそれでもいっときの事とタカをくくって、放っておいたのが凶と出た。

七夕の日は仕事を休み、朝から寝込んでいた。

食欲もなく、むしろ気持ちが悪く、立って歩く事すらままならない。

そしてその深夜、小用を模様してトイレへ向かおうとするが、とても立って歩けるような状況ではない。

仕方なく、匍匐(ほふく)前進で廊下をなめくじのように這いながら進む。
※この動きは、10数年後にアセンションパーティーで食中毒に当たったきみちゃんが見事に再現することになる。
人間、具合が悪くても動かざるを得ない時って、みんな同じようになるんだな。。


と、そこで不意に意識が飛んだ。

人生で初めて気絶を経験した瞬間であった。

どのくらい時間が経ったのであろう、ふと目が覚めると自分が何故こんなところでうつぶせで横たわっているのかを理解するのに時間がかかった。

ああ、そうだ、確かトイレに行こうと思ってこうやって這いずって。

と、電気もついてない暗い廊下で、俺は自分の周囲が何やら濡れているのに気がついた。

目も慣れてきて、近くでその液体をじっくりと観察していると、、、

ひぃぃぃ!!!

その液体は赤黒い、自らの血液であったのだ。

パニックになりながらも、状況がだんだんとわかってきた。

ずっと胃壁を溶かされ胃の中に溜まっていた血液や内容物が消化しきれず、それが原因で朝から気持ちが悪かったのだ。そしてそれが先程の気絶というハプニングと連動して俺自身が吐いたのであった。

しばし呆然としていると、やがて親が起きてきた。トイレに行こうとしたのであろう。
廊下の電気を付けるなり、殺人現場のような惨状を見てそれはそれは驚き慌てて大騒ぎであった事は言うまでもない。

その衝撃は想像に難くない。

自分であっても家族の誰かが深夜、廊下に血まみれで倒れていたら相当なショックを受けるだろう。

その夜、大騒ぎで救急車が呼ばれ、俺はそこから約2週間、入院することになるのであった。

ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」は約束の時期通り、降り立ったのであった。

まあ不幸中の幸いは、未だこうして命が繋がっている事であろう。

あの後、良い事も悪い事もあった。
あの事が起こるまでだってそうだった。

結局、生きるという事はそういった、ありとあらゆるレベルの経験をするという事なのだ。
当たり前だけど。

結局命がこうして繋がっていて、日々生活が出来るということはとても素晴らしい事なのだね。

病気とかで入院したり苦しんだりしている時は、健康でいられる事が本当に素晴らしい事のように思えるが、うっかり健康でいつづけると、それが当たり前になってしまって、感謝の気持ちすら出てこなくなりがちだ。

今日という日に、たまたま思い出したあの1999年の出来事はきっと意味があるのだ。
失ってから気づく事の愚かさに警笛を鳴らされたような気がしたのだった。

それを忘れないように心がけることによって人は勝ち得るのだろう、本当の幸せを。

だから、こうしてブログに綴っておいて自戒とし、また、この「当たり前だけど忘れがちな気づき」を読まれた方と共有できるのならそれに超した事は無い。


ありがとう、俺。


おっと、今回はなかなかいい話だったな。
【2015/07/07 19:04】 | 科学と神秘 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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